今日は、いや、正確には「1月20日ごろ?」は、シラヌイの誕生日です。
三千院ナギお嬢さまに飼われ、自由奔放に生きている、あのシラヌイです。
本日を誕生日として祝うのはどうかな~と思ったりもしたんですが、
・・・まぁ、こんなキャラの詳細な設定は誰も気にしないので大丈夫でしょう。
題して「シラヌイの可能性を徹底的に掘り起こす」という企画です。
・・・でも、そのネーミング同様即興なので、実際は全然徹底していません。
基本的には「お屋敷組」に属していますが・・・
ナギを主とし、そのナギとマリアさんにはなついているシラヌイ。
行動範囲から考えても、彼がお屋敷組を構成する1要員なのは確かでしょう。
でも、元々は「西沢さん&ヒナギクが見つけて連れ帰った」んですよ。
そして、愛の巣にお邪魔するかどうかで激しい論戦が繰り広げられていた所を、
シラヌイの放つ魅力によって終止符が打たれているんですよね。
また、彼を介する事で、ハヤテとのやり取りも自然に行う事ができました。
彼の存在が、三角関係を超越した新構造の構築に一役買っている。
むしろ、彼がいたからこそ、事態が丸く収まったと言っても過言ではありません!
この時点で彼に的確な判断能力があったかどうかは定かではないですが、
それこそ、これら一連の流れが全て「計画通り!!」だった可能性もあります。
一歩間違えば「泥沼の愛憎劇」になってしまうハヤテのごとく!を、
知らず知らずの内にギャグ作品に導いている・・・それがシラヌイではないかと。
無自覚状態での物語の修正劇・・・これは只者ではありませんよ!?
まぁ、単に「無自覚を演じている」シャア以上の道化なのかもしれませんが。
ペット、ともい「マスコットキャラ」としてのシラヌイ
これが非常に難しい問題。「ケレ・ナグーレちゃん1人さえいれば文句なし!」
というのが個人的見解ですが、ここでは控えさせていただきます。
1:特定の人物のためのマスコットキャラであるエイト→ラブコメ作品
2:マスコットキャラそのものを演じるケレ・ナグーレちゃん→ギャグ作品
3:マスコットキャラを主張するタマ→自主性の尊重
4:マスコットキャラのような扱いを受ける高尾山のタヌキ→偽りの姿
たとえば1や2なら、キャラと作品の構造をリンクさせられる存在になりえます。
3はその自己主張そのものを尊重する、つまりはキャラ自体の独立化です。
4は「メイドのマリアさん」や「迷子の伊澄さん」と言った本質を隠すための存在。
それらしい設定でもって、物語の核心をカムフラージュする作用があります。
では、シラヌイは何なのでしょう?
答えは簡単です。マスコットキャラのしての定義が存在しないのです。
拡大解釈すれば、マスコットからの脱皮を目指す存在ではないかと思うのです。
初期のシラヌイは、完全なマスコットキャラでした。
しかし、お屋敷にたどり着いた直後に「計画通り!!」が発動しました。
その後伊澄さんの内なる力に反応したり、G嫌い上のマリアさんを意識したり。
107話でのナギとの絡みでは、冷静なツッコミを披露していました。
そして137話でのタマとの共闘では、彼が自発的に行動を起こしました。
徐々にではありますが、彼はマスコットキャラ路線を脱しようとしています。
進化するマスコットキャラとしてのシラヌイが、普段の彼の姿。
そして、彼が脱・マスコットを実現したとき、シラヌイとしてのトゥルーエンドは
完成を見る事になるのかも?・・・それはあり得ないというツッコミは無しの方向で。
「いいんちょの服の中に忍び込む」という黄金伝説を達成
137話にて突如実現した、彼の神懸り的な行動の事です。
この行動は一過性のものかもしれませんが、意味はあると思うのです。
・・・そう、彼こそ新境地を開拓できる、フロンティア精神の持ち主。
彼には自由があり、判断能力があり、危険な存在とも認知されていません。
当然小回りがきく体格ですし、何よりも・・・
三千院家のお屋敷(当然ながら)、白皇学院(ヒナギク、美希、いいんちょ)、
西沢さんとの面識、ワタル&サキさん(ペット専門店繋がり)、
咲夜&伊澄さんとの面識(83話)
・・・等、実は大半の主要キャラと何らかの関連があったりします。
だから、どこに登場しても理由が生まれますし、どんな事をやらかしても
世間的には「許される」ので、あらゆる方面に出没する事もできるのです。
シラヌイにシラヌ事など皆無なのです。
そのツッコミは誰譲り?
意外と人格者(人ではないですが)であるシラヌイ。
なので、そのツッコミも非常に的確で、常に的を射ています。
そして・・・それがナギに対してのみ効力を発揮している。
これが凄いんですよ・・・と私個人は考えているんですが、いかがでしょう?
最初に述べたように、基本的には無自覚を装った道化の面が強いです。
それでいて、ナギに対してのみ「本音をさらけ出す」というのは不思議です。
107話での冷静なツッコミは、さながらマリアさんのごとく!ではないかと。
例えるなら、誰を差し置いても「主にだけは心を許す」模範なのかも?
それは、主従関係が当たり前のように存在するハヤテのごとく!内では
非常に重要かつ重大なテーマではないかと。・・・いや、割と本気で。
ハヤテの言葉を借りれば「拾ってくれたり救ってくれたりする人がいたから…」
・・・その恩に報いるために、誰よりも恩義を感じ生きているのが彼なのかも?
執事から離れた存在
お屋敷組の構成員であるのは確かですが、接点があまりないんですよ。
・・・ハヤテやクラウスをはじめとする、並み居る執事軍団との接点が。
実際、彼の「好き・苦手」の両項目に属していない事からも明らかですし。
執事コメディのジャンルでありながら、何故執事と縁がないのでしょう?
・・・私としては、「脱・執事の象徴」がシラヌイではないかと思うのです。
執事コメディという属性から離れて行動できるのが彼の強み。
マリアさんが「ハヤテのごとく!における職業人としての傍観者」なら、
シラヌイは「ハヤテのごとく!における非職業人としての傍観者」ではないかと。
ナギと比べマリアさんと距離を感じる面もあるシラヌイ。
それは、2人に与えられた属性の違いがそうさせているのかもしれません。
・・・あれ?脱・執事という表現と全然関係ない締め方のような?
今日が彼の誕生日なのかどうかは私にはよく分かりません。
しかし、気が付いたら当初の予定を遥かにしのぐ文量になっていました。
それだけシラヌイには、まだ見ぬ可能性が多分に秘められているのでしょう。
まとまりが悪いですが、とりあえずシラヌイ、誕生日おめでとう!
・・・と、そろそろ1人だけで祝うのが寂しくなってきた今日この頃・・・。