なにやらまたしてもおめでたい噂を耳にしたので、少しばかり
きよさんとマリアさんの関連について考えてみます。
きよさんとマリアさんは似ている。最近ふとそう思いました。多くの人にネタにされ続ける日々、そしてそれは愛情の裏返し。好きだから苛めたくなる、思春期特有の何か・・・。
思えば、きよさんはハヤテブロガー時代、
マリアさんを度々ネタにしてきました。だからこそ、いざ自分がネタにされ始めたとき、きよさんはきっとマリアさんの心を知ったことでしょう。愛し、愛されるとは何かを。それがどれほど尊く、どれだけ人に必要なものであるかを。
しかし、その後もしばしの間、きよさんはマリアさんをいじり倒してきました。一方で自身もメイドさんになるなど、マリアさんの心を理解しようと躍起になっていました。仮想と現実の両空間でマリアさんを愛でる・・・それがどういう意味を持っていたのか・・・きよさんの結婚報告を耳にしたとき、ようやく理解できました。
きよさんは、真の愛を探していたのです。マリアさんという仮想空間上の愛に溺れてたさなかに現実の愛に出会い、両者の間で苦しんでいたのです。そして、現実の愛にすべてを注ごうと決めたとき、このままではいけないとハヤテブロガーからの引退を決意したのです。現実の愛に人生の全てをぶつけ、愛すべき存在を守り続けることを、マリアさんとの決別でもって周囲に示してみせたのです。
・・・ある時、きよさんをネットアイドルとしてもてはやそうという動きが一部に見られました。きよさんは、それに戸惑いつつ、最終的にはそれを許可する形になりました。何故そうなったのか・・・今になって少し考えてみました。
これをきよさんとマリアさんの関係から紐解いていくと、1つ引っかかることがあります。それは前項でも触れている「愛」についてです。
確かに、きよさんもマリアさんも多くの人に愛され続ける存在です。しかし、自分で自分を愛していたのか・・・むしろ自分にムチを打ってまで無理するタイプにすら私には見えました。
そして思ったのです、きよさんは「自分も愛せない人が人も愛せるのか?」という疑問をいだいていたのではないか、と。愛し愛されるとは、互いに愛し合うだけでなく、自分も含めて愛することを指しているのではないか、と。だから、きよさんはネットアイドルとして自分が愛されることも、ひいては目の前にいる愛すべき対象をより深く、より強く愛することにつながると考えたのではないか・・・と。
さらに言えば、きよさんは自分を愛する大切さを、マリアさんその人にも伝えようとしていた気がします。マリアさんに何らかのシンパシーを感じていたきよさんだからこそ伝えたかった、マリアさんと別れると決めたからこそ最後に伝えたかった・・・それがきよさんの自愛に繋がったのではないでしょうか?
何より、自分を大事にすることは、目の前の愛すべき対象だけでなく、将来生まれてくるであろう我が子のことも思ってのことなのかもしれません。子供を守るための慈愛だけなく、子供のために生きるという自愛もまた必要ではないのか・・・と。
将来を見据えたとき、慈愛と自愛が揃ってこそ、愛すべき家族を守れる。それは、きよさんがマリアさんを見て学んだことであり、同時にきよさんがマリアさんに伝えたかったことなのでしょう。
だからこそ思うのです、きよさんは奥さんと将来生まれてくるであろうお子さんを何よりも大事にしてほしいと。そして、心の片隅、ほんの一部分でいいので、マリアさんの将来もきよさんと同じよう幸せなものになるよう祈ってあげてほしいと。
何はともあれ、結婚に続いて奥さんのご懐妊、まことにおめでとうございます。無事お子さんが生まれてきますよう、ネットの片隅で祈っております。
*この考察は大半がフィクションです
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明日はきっとなるほど、心はまだハヤテブロガーということですね!
・・・ということで感想再開期待しています。