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ゲームの戯言+α

自分の趣味について、徒然なるままに語るかも。

スーパーの値引きミスは確信犯なのか 

 以前からずっと疑問に思っていること。

 自分は普段から自炊していて、値引きシール貼られた商品を購入することもあるのですが、これまで色々なスーパーで「値引きミス」に遭遇しました。軽く10回以上はあって、ぶっちゃけ人間のやることだからミス自体はどうでもいいんですけど、全てのミスが「値引き額が小さい」ものでした。値引きそのものを忘れているのではなく、値引き額が小さいというミスなんです。このブログを書き始めた1時間ほど前の買い物でも同じ事象に遭遇したので、その勢いのままに、今文章を書いています。

 ・・・これ、確信犯?とか思っちゃうわけです。

 でも、冷静に考えて、たかが数十円(高くても数百円)レベルの差額を儲けてやろう!みたいな動機で確信犯的な行動を取るだろうか?という疑問はあるんですよね。そうすると、狙ってやってるとは考えづらい。

 だとしたら、考えられるのは、「店側に値引きミスのペナルティがほぼ無い」からなんだろうなぁと思ってます。

 仕事上のミスは自分も経験ありますが、それで社内の評価が下がったり、会社の評判が悪くなったりして、売上とか給料にも関わることが多いですけど、会計のほんの小さなミスって見逃されがちなんですよね。だって、多くの場合は数十円レベルの値引きミスを、わざわざ指摘して直してもらうの面倒ですし、たぶんですけど会計後に値引き額が合ってるか毎回確認するような客(自分のような人間)って、ほとんど居ないような気がするんですよね。

 この問題のアプローチとしては2つあって、1つはシステム面の改良。要するに、客側が指摘しない限り気づかないのではなく、値引きシールのレジの精算が完全に連動して、そもそも間違いが発生しない仕様にする。値引きシールのシステムではなく、レジのバーコード(?)そのものに値引きが自動で反映されるように・・・できればそれがベストなんでしょうけど、システムの総入れ替えが必要な予感・・・。

 そうすると、もう1つは店側のデメリット、もしくは客側のメリットにつなげるやり方。値引きミスを客が気づいたら、差額返済ではなく、対象商品が100%引きとか、店ごとに固有のルールを儲ける。そうすれば、客側も値引きしてミスがないか気にするでしょうし、キャ側もリスクがあるからちゃんと丁寧に対応するでしょうし。もっとも、これはこれで、人類皆監視社会ルール突入って感じで、トータルで観ると余計にストレスを互いに感じちゃう可能性がありそう。


 まあ、そんなかんたんに解決できない問題だとは思うんですけど、自分としては、今さっき340円の3割引商品を買ったら、何故か30円引きになってますよと指摘したら、今度は85円値引きされて、「いやいや340円の3割ってどう考えても102円じゃん」と突っ込みたかったけど、面倒くさくて今さっき引き上げてきたので、いい解決策が出来てほしいなと願うばかりです。

[ 2022/02/18 08:39 ] その他の戯言 | TB(0) | CM(0)

好きなキャラの変遷 

 Twitter見ていて、好きなキャラを語るタグみたいなのを見かけたので、そういえば今までどんなキャラ好きになったかなぁと思ったので、備忘録も兼ねて書いてみることにします。

 覚えている範囲で、最初に意識したのは、スーパーマリオシリーズでお馴染みの「ヨッシー」でしょうか。よくヨッシーの絵を描いてた記憶があります。また、このヨッシーつながりで、同じ緑仲間(?)のルイージも好きになって、マリオよりルイージを描いてたりもしました。ちなみに、この時点では漫画やアニメに手を出してなかったので、まだ漫画やアニメキャラを認識していなかったように思います。

 この後、衝撃の出会いとなったのが、ダイの大冒険のポップ。人生で初めて読んだ漫画だったこともあり、ポップの成長していく過程にグッと来た・・・んですけど、そのすぐ後に待っていたのが、大魔王バーン様との出会い。今でも1番好きなキャラとしてバーン様をあげるくらいで、このブログでも全セリフ集を作ったり、ニコニコ大百科で「大魔王バーン」の初版作成者になったり、Twitterでの最初のアイコンをバーン様にしたり。後に、ガンダムのギレン・ザビとか、犬夜叉の殺生丸とかも好きになるんですけど、実はこの辺りはバーン様との出会い以降は「圧倒的強キャラ感」に惹かれることが多くなったことも一因としてあるんですよね。

 その後、しばらく大きな出会いはなかったんですけど、ある時「スラムダンク」を読む機会があって、その中でも水戸洋平と神宗一郎が好きになりましたね。この頃は渋い名脇役にハマっていた時期とも言えそうです。

 ただ、この次に来た衝撃というのが、高橋留美子作品、通称るーみっくわーるどとの出会いなんですよね。これまでの流れで分かる通り、基本的にこれ以前は男性キャラにしか興味がなく、女性キャラに一切関心がなかったのですが、天道あかねと音無響子(管理人さん)の存在が、自分の人生の転換点とも言えるかもしれません。

 そして、その流れを決定づけたのが、このブログではもはやお馴染み、ハヤテのごとく!のマリアさん。価値観が根本から変わった瞬間で、基本的にこれ以降、特に漫画とアニメに関しては「自分的に好みの女性キャラがいるかどうか」が重要ポイントとなり、その流れは現在に至るまで変わっていません。

 そこから暫くはマリアさん時代が長く続いて、数年前に出会ったのが、三村かな子。自分がアイマスにハマるきっかけになった子で、これ以降はマリアさんに出会った時以上に「ルックス最重視」路線に切り替わってきたかなぁという感じです。


 こうやって書き連ねてみて改めて思うんですけど、これといった一貫性もなくて、自分がどういうキャラにハマりやすいか、あんま法則性はない気がしますね・・・。

[ 2022/01/13 23:21 ] その他の戯言 | TB(0) | CM(0)

いつかは自分も老害化するというお話 

 老害という言葉の是非はともかくとして、自分も含めて、大多数の人間はいずれ老害化するであろうということは、避けられない事実だと思ってます。

 例えば、自分があるコミュニティに所属していて、そこにAさんという人がいたとします。そのAさんは少々空気が読めない人だとしたら、それは老害にカテゴライズはされませんが、そのコミュニティにおいてはマイナス要因となる存在とは言えるでしょう。

 しかし、コミュニティが長く続くにつれて、後にメンバーとなったBさん、Cさん、Dさんも、Aさんと似たようなタイプだったとします。これだけいうと、この3人もAさん同様、コミュニティにマイナスになる要因だ!と断定できるかというと、自分は違うと思うんです。何故なら、コミュニティは人の出入りがあり、もしかしたらその後のコミュニティにおいては、Aさん、Bさん、Cさん、Dさんのようなタイプは当たり前で、もはや浮いていない状態で、自分自身がそのコミュニティの変化についていけていない可能性もあるからです。

 「いやいや、空気が読めないタイプは、どのコミュニティでおいても駄目では!?」という考え方も一理あるのですが、それはそういうタイプの人がごく少数の場合であって、コミュニティの大多数を占める人のタイプが変わっていたとしたら、そのコミュニティにおける空気が読めないタイプも変わってしまう可能性があるということ。昔だったら許容されていた発言、表現が、現代では批判の対象になったり、その逆もあるように、環境の変化に気付けず、それはいつか老害化に繋がるんじゃないかなぁと思っています。

 ここで考えないといけないのは、その変化が起きやすいコミュニティと、そうでないコミュニティがあるということ。それこそ、家族とか同級生仲間とかは、基本的には等しく年を取り、人の入れ替わりもほぼない(減ることはある)ですから、老害化は発生しにくいです。しかし、趣味の集まりやら職場やらだと、ほとんどの場合は人の入れ替わりがあるわけで、その変化、特に自分より若い世代の流入による変化にどれだけ適用できるか。

 ただ、難しいのは、前者の変化が起きにくいコミュニティに所属していれば、老害化する場面も殆どないとは思うのですが、これだとコミュニティは小さくなるか、無くなるかの二択みたいなもので、それだけに依存するのはリスクが高いんですよね。だから、変化が起きやすいコミュニティにも所属しつつ、いかに自分を客観視出来るかが課題になりそうです。


 現状、老害化の多くは「自覚症状がない」と思っていて、老害化してる頃には自分もその判断ができない・・・いや、こんなことを書いてるけど、すでに何らかのコミュニティでは老害化している可能性すらあるのが怖いですね。だからこそ、今いるコミュニティで楽しいのは大事ですが、時には違うコミュニティにも積極的に参加することで自分の立ち位置を確認して、「あれ、どのコミュニティに居ても違和感がある!?」となったら黄信号。楽しいと思えるコミュニティからどこかのタイミングで距離を取って、俯瞰してみる。結局、コミュニティ内の入れ替わりがあった時、「同じような仲間とだけ絡んでる」状態が長期化すると、コミュニティの中で変化の起きにくい小さなコミュニティを作っていることになり、その小さいコミュニティの人間が全体から観たら老害の集まりになってる・・・なんてこともありえます。現実問題として、誰とも関わらず生きていくのは不可能ですし、できることなら可能な範囲で老害化は防ぎたいですから、今からできることをやっていきたいです。


 ・・・という文章を残しておいて、いつか自分がこれを見返した時にどう思うのか、それが恐くもあり、楽しみでもありますね。

[ 2021/12/14 07:09 ] その他の戯言 | TB(0) | CM(0)

TwitterのTL非表示生活をしてみて思ったこと 

  自分は割とTwitter依存症だと思っているのですが、今は実験も兼ねて、TLを一切表示しないようにしています(投稿だけする)。

 あくまで実験なので、近々もとに戻すつもりなのですが、この実験を始めて2週間ちょっと経ち、自分の中で感じた変化でも書いてみようかなと。


・ニュースが入ってこない
 思えば、自分にとって1番のニュース源はTwitterだったのだなぁと気付かされました。ゲームの最新情報、現在放送しているアニメ、話題のスポートや芸能人のことなど、びっくりするくらい、なんの情報も入ってきません。TLに限らず、トレンドとかも観ていないので、本当に何も分からない。一応Youtubeは観てるのですが、観てるジャンルに偏りがある(ほぼお笑い芸人のチャンネルしか観てない)ため、ニュースらしいニュースとは無縁。・・・なんですけど、知らなくてもそんなに困らないんですよね。唯一、ゲームに関する情報が入ってこないのが難点なので、もしこれを継続するなら、ファミ通みたいなゲーム関連サイトだけはチェックする必要はありそうです。逆に、自分にとってゲームの最新情報以外は入ってこなくてもそんなに困らないかもなぁという・・・。


・フォロワーの状況が分からない
 当たり前といえば当たり前ですが、フォローしてる人はほぼ全員一般人(?)なので、仮にYoutubeとかでニュースを目にしたとしても、当然それはフォロワーとは何ら関係ない情報なので、ツイートしてるかどうかも含めて、動向が分かりません。ただ、1個大きな収穫があって、それは何かというと、「明らかに特定の人物のツイートだけはチェックしたい症候群」に駆られるということ。それが誰なのかはもちろん言えないのですが、この非表示実験をもう少し続けることで、本当にチェックしておきたい人が誰だったのか、見極める良い機会になりそうな予感がしています。
 昨今の状況で「本当にどうしても会いたい人とか、どうしても参加したいイベントがなんだったのか、可視化された」みたいな話もありますけど、意図的であれなんであれ、何かしら制限された環境に身を置くことって、自分の状況を見直すには有効なのかもしれません。


・承認欲求から解放される
 実は1番大きな変化。一応通知だけは観てるので、自分のツイートへの反応だけはわかるんですけど、この状況だと人と比較することは一切ないわけです。それだけでも、「自分なんて・・・」みたいな感情になることもないですし、自分のツイートに反応がなかったとしても、自分がどれくらいツイートしたのかすらよくわからないという。一応、通知のあったものはツイートしたということが後からでもわかりますが、反応がないと、どれくらいツイートしたかも、誤字があったかすら把握できないですから、これは意外なメリットとも言えるのかも。もっとも、数字マニア、データマニアの身としては、数字に接する機会も減ってしまうので、そこは楽しみ半減かもしれませんが・・・。


・好きなイラストが見れない
 全員が全員Pixivとかにアップしてるわけではないので、大半のイラストを目にすることができないのは、結構痛手ですね。もっとも、ここ3年くらい、アイマス中心に自分から探す習慣になっていたから違和感があるだけで、その習慣から完全に解放されるくらい非表示を続けたら、心境が変わる可能性もありそうです。


・話題に乗っかることができない
 この非表示実験中でも「あ、自分の好きなSSRが来た!みんなどんな反応してるんだろ!?」という瞬間があって、そこで一緒に盛り上がったり、楽しんだりすることができない、という側面はありましたね。正直、そういう瞬間だけ表示ありにしてもいいのかなぁと思うくらいには、今更後悔してたり。そういうのは情報とか誰か特定の発言とかではなく、その瞬間の空気感を楽しみたいわけで、後からでは楽しめないものですし、共通の趣味で繋がってる人が多いSNSだからこそできる遊び方でもありますからね。


ツイート内容が人に左右されない
 ツイートだけはしてたんですけど、自分も含めて誰のツイートも表示されないから、当たり前ですが、自分がツイートしたいと思った時にしかツイートしないですね。それこそ、普段だと「みんなが無料10連ガシャ結果投稿してるから、自分もするか」みたいなのがあったり、逆に「有名人の不幸とか訃報のニュースが飛び交ってるから、あんまゲームのスクショとかは控えるか・・・」みたいなことも無い。実質ただのミニブログみたいな状態になってます。


 パッと思いついた変化としては、この辺でしょうか。大きな変化としては、承認欲求が薄れるのと、本当にチェックしたい人が見えてくる、の2つでしょうか。我慢してる部分もあるので、遠からずTL表示しますが、今回に限らず「当たり前を見直す」っていうのは、大事だなぁと実感できる、良い実験だったように思います。

[ 2021/12/13 22:54 ] その他の戯言 | TB(0) | CM(0)

合わないものから離れる生活を考えてみる 

 最近、実践していて、「これ、結構いいのでは!?」と思っていることがあります。それがタイトルにもある通り、合わないものから離れる、という考え方。

 自分の場合、ゲームという好きなことをして遊ぶとか、餃子とか好きなものを食べるとか、その考え方を重視していたんですけど、最近は好きなものをどうするかよりも、好きではない・・・まあ要するに「合わない」ものから離れていけば、自然と周りに残るのは好きなもの(もしくは好きでも嫌いでもないくらいのもの)だけになるんじゃなかということ。自分にとってプラスになることを増やすより、マイナスになることを減らす方が、自分の性格には合ってるかもしれないんですよね。

 もちろん、全てのマイナスから離れるのは、現実的には難しいとは思うんです。特に仕事とかが絡むと。けど、それって身近にマイナスな事が多いっていう証明でもあって、だったら必死にプラスになること探すより、離れても差し支えないマイナスと距離を置くことを、ちょっとずつ実践した方がいいのかなと。

 自分の好きなゲームとかでも、自分が少しでもストレスを感じるような遊び方とか仕様があるなら、あまりそういうゲームはやらず、面白さよりもノーストレスで遊べるゲームを中心にプレイするようにしてます。純粋なマイナスから離れるのは当然ですが、プラスをもたらしてくれるものにもマイナスが含まれることはよくあるので、「プラス10とマイナス1」を与えてくれるゲームよりは、「プラス5とマイナス0」を与えてくれるゲームの方が、時として自分にとってトータルプラスになったりすることもあると思うんですよね。メンタルにおけるマイナスって、単純な足し算引き算には推し量れない部分があって、最近はここを大事なポイントと捉えています。

 全ての事柄にこの考え方を適用できるかは分からないですし、プラスがないと生きていけないくらい瀬戸際に立ってる人にはあまり有効ではないかもしれませんが、当面は「好きなことをして生きていくより、嫌いなことをして死なない」の精神を大事にしていこうかなぁと思った今日この頃です。



[ 2021/12/11 22:05 ] その他の戯言 | TB(0) | CM(0)

ネガティブな声との付き合い方 

 悪口、陰口、批判、否定・・・まあ、その手のことは世の中に山程ありますし、私自身もこのブログ含めて、それなりの頻度でしてきたという自覚はあります。日常生活においても、そういったネガティブな声を聞くのも、自分自身が発信するのも、まず避けては通れないものだと思ってます。そう、あって当然のもの。

 だから、悪口を言わせない世界線にすればどうすればいいのか!?なんて理想論はあまりに非現実的ですし、だとしたら、そういう声とどう付き合っていくか、考えたほうがいい気がします。

 で、自分なりに考えてみたのですが、1番現実的なのは、「場所と相手を選ぶ」なのかなぁと。個人的に、話が合う人というのは、趣味が同じというよりも、考え方が近い人を指すと思うんですけど、これって悪口とかにも、当てはまるんじゃないかと思うんですよね。
 世の中の不満とか、疑問とかに置き換えてもいいですけど、それこそ「駆け込み乗車は人様に迷惑かけてる自覚ないのかなぁ」とか、「酒の席で飲酒を強要する人の考えが理解できないんだよね」みたいなのって、良いことではないという大多数の共通認識はあれど、中には「本当に急いでるときには仕方のない場合もある」とか、「酒の席なんだから多少周囲に合わせることも必要」という考えを持つ人がいることも事実で、絶対の正解がないことが殆どだと思います。だとしたら、普段の付き合いの中で、不満も含めて共感を得られそうな相手を選ぶというのは、とても重要なことだと思うんです。それが、ネットへの書き込みという、ある種相手を選ばない(世界中に発信)行為が世の中に溢れていることで、いろんな問題に繋がっている・・・そんな気がしています。

 もう1つ、特にネットへの書き込みに関して思うのは、言葉を選ぶということ。これは賛否あるとは思うんですけど、世の中への不平不満をネットに書き込む行為は、言葉さえ選べば、別にいいんじゃないかと個人的には思っています。その代わり、表現が正しいかは分からないけど、「駆け込み乗車ってこわいなぁ」とか、「酒の席の雰囲気がちょっと苦手だから、あまり飲み会とかには行かないようにしてる」みたいな感じで、ちょっとだけでも言葉に気をつける。同じようなことを言っていても、言葉に棘があると感じるかどうかは結構差があって、特に感情が乗らない文字という文化においては、表現1つで印象が劇的に変わることも少なくありませんからね。

 私自身、ネットに書き込みを始めた直後はかなり表現が攻撃的だったり、今でも感情が高ぶりすぎると、言葉が乱れることもあるので、自分自身への戒めという意味も込めて、少し書き綴ってみました。

[ 2021/07/04 22:18 ] その他の戯言 | TB(0) | CM(0)

Youtubeをお試しで始めた話 



 Twitterでは公に情報公開してないのですが、実は先日から、Youtubeで投稿を始めました。

 ・・・といっても、中身は動画というよりはほぼ音声録音だけで、自分の興味あるものをただ語るだけっていう。まあ、ここなら見てる人も殆どいないでしょうし、逆にここを見てるレベルの人に知られても、特に問題はないかなと。今はアイマス特化ですが、今後どうするかは決めてません。

 ちなみに、投稿初日は、3月9日。・・・まあ、自分が14年前にブログ開設した日と、全く同じなんですよね。これは偶然とかではなく、「そういえばブログ開設14周年だけど、もう周年ごとに記事書くのもやめちゃってるしどうするかなー。あーそうだ、どうせなら、Youtubeはじめてみようかな」くらいのノリでスタートしてます。

 なので、すぐに投稿やめちゃうかもですが、まずは登録者数1人を最初の目標として、やっていこうかなと思ってます(現時点で登録者ゼロなので)。

[ 2021/03/13 09:19 ] その他の戯言 | TB(0) | CM(0)

ブログ以外の環境変化の話とか 

 このブログについては、頻度が落ちただけで大した変化はないんですけど、それ以外の環境、とりわけツイッターの変化によって、他サービスでの活動にも今まさに変化が起きそうな状況下にあります。

 それは何かといいますと、「User Streams API」の廃止が近いということ。自分のネットでの活動はツイッターに依存しており、それも「User Streams API」があればこそ成立している所があります。8月に廃止が決まり、その代用APIを使うサービスに切り替えるか、公式ツイッターを使うかの選択肢になるわけです。

 ただ、代用APIは純粋な劣化版で、今までのような使い方はできず、公式のものはチェックの手間が多すぎて、普段もスマホのスクショや写真を投稿する以外で使う機会はないんですよね。とすると、投稿だけはするけど以降のチェックはしない、という使い方になると思います。
 
 ではそれがどう影響するかって話ですけど、自分がスマホから「画像の投稿」する以外のことを基本しなくなる、つまり文字の投稿はほぼしない、TLのチェックしない、そもそもリプへの反応もしないという状況になります。あとはイラストの投稿についても、いわゆるツイ廃的な方からのRTやいいねは確実に減りますから、自分自身も描く頻度は落ちるんじゃないかなぁと見ています。

 そして、もう1つ大きいのが、ゲーム好きとしての今後の活動についてです。自分はいろいろな人とのゲームの接点もツイッターのTLから絡むのがほぼ常ですから、それが無くなるということは、「今時点でツイッター以外で気軽に連絡を取り合える人とゲームをする機会がほぼ無くなる」ということになります。で、それに該当しそうな人が、多く見積もっても一人だけという現実を踏まえると、もうゲームを通じた交流も広がることがなくなりそう、ということになります。

 ですので、今後ゲーム関係で私と接点をーという方がいましたら、どのツールからでも構いませんので、ご一報いただけると幸いです。・・・ということをここに書いてもあんまり意味がない気もしますが、最近はツイッターに関してあまりネガティブなこと言うのもなぁという思いもあって、ここにひっそり書き記しておいたとかそんな話です。もちろん、「User Streams API」同等の機能が今後使えるようになったら、また話は変わってきますけど。

[ 2018/06/09 23:34 ] その他の戯言 | TB(0) | CM(0)

ブログ開設11周年 

 ・・・えー、3月9日がですね、11周年なんですね。今日はですね、えー・・・・・・3月21日らしいですね。今まさに、カキカキしてる最中です。

 言い訳すると、3月9日に合わせて準備していて、いざ予約投稿!ってしたんですけど、久々の更新特有のアレ。エラーになって、珍しく途中保存もして無くて、あー!!!ってなって落ち込んで今日に至るわけです。ぼんやり書いた内容覚えてたり覚えてなかったりで、どうしたものかと、現在進行中で内容を考えてます。たぶん書き終えての推敲もしません。


 まあそれはそれとしまして、11年。昨年は区切りの10年ということで全体を振り返ってましたけど、この1年、まあなんといいますか、本当に何も変化がなかったですね。その状況が5年以上は続いてる気がしますが、そこは置いておきまして。

 どちらかというと気にしているのは、外的要因・・・具体的には、ツイッター今後大丈夫かな、という辺りでしょうかね。いつか他のSNSとかが使えない、使いにくくなった時のある種逃げ道として、このブログが今後価値を持ってくる可能性はあるのかなと。
 あとは最近の傾向としてありますけど、ツイッターで呟きにくいけどなんか発信したい、という時のブログという手段を用いるというのも、1つの選択肢ですね。まあ、それも前述の外的要因とほぼ同義ではあるのですが。

 極端な話、今後という点でいうと、ブログであることに意味がある、というわけではないんですよね。発信場所としての選択肢を残しておきたくて、自分の場合は最初期からずっとブログだったから、その選択肢も自然とブログになるというだけの話で。ここで何か新しいことをしていくというのは現状考えづらいですし、余程の自体が起きない限り、大きな変化はないでしょう。それでも、他の場所で活動するにあたり、それでもブログがあるからまあ大丈夫でしょうという精神的な余裕を生んでくれる場所として、主に自分の気持ちの部分にプラスに作用する存在になっている気がします。


 そんなこともあり、来年12周年を迎えるにあたり、外的要因に変化がなければ、このブログの状況もほぼ変わっていないでしょうけど、今後共まったりと、よろしくお願いします。
 

[ 2018/03/21 13:47 ] その他の戯言 | TB(0) | CM(0)
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