自分は割とTwitter依存症だと思っているのですが、今は実験も兼ねて、TLを一切表示しないようにしています(投稿だけする)。
あくまで実験なので、近々もとに戻すつもりなのですが、この実験を始めて2週間ちょっと経ち、自分の中で感じた変化でも書いてみようかなと。
・ニュースが入ってこない
思えば、自分にとって1番のニュース源はTwitterだったのだなぁと気付かされました。ゲームの最新情報、現在放送しているアニメ、話題のスポートや芸能人のことなど、びっくりするくらい、なんの情報も入ってきません。TLに限らず、トレンドとかも観ていないので、本当に何も分からない。一応Youtubeは観てるのですが、観てるジャンルに偏りがある(ほぼお笑い芸人のチャンネルしか観てない)ため、ニュースらしいニュースとは無縁。・・・なんですけど、知らなくてもそんなに困らないんですよね。唯一、ゲームに関する情報が入ってこないのが難点なので、もしこれを継続するなら、ファミ通みたいなゲーム関連サイトだけはチェックする必要はありそうです。逆に、自分にとってゲームの最新情報以外は入ってこなくてもそんなに困らないかもなぁという・・・。
・フォロワーの状況が分からない
当たり前といえば当たり前ですが、フォローしてる人はほぼ全員一般人(?)なので、仮にYoutubeとかでニュースを目にしたとしても、当然それはフォロワーとは何ら関係ない情報なので、ツイートしてるかどうかも含めて、動向が分かりません。ただ、1個大きな収穫があって、それは何かというと、「明らかに特定の人物のツイートだけはチェックしたい症候群」に駆られるということ。それが誰なのかはもちろん言えないのですが、この非表示実験をもう少し続けることで、本当にチェックしておきたい人が誰だったのか、見極める良い機会になりそうな予感がしています。
昨今の状況で「本当にどうしても会いたい人とか、どうしても参加したいイベントがなんだったのか、可視化された」みたいな話もありますけど、意図的であれなんであれ、何かしら制限された環境に身を置くことって、自分の状況を見直すには有効なのかもしれません。
・承認欲求から解放される
実は1番大きな変化。一応通知だけは観てるので、自分のツイートへの反応だけはわかるんですけど、この状況だと人と比較することは一切ないわけです。それだけでも、「自分なんて・・・」みたいな感情になることもないですし、自分のツイートに反応がなかったとしても、自分がどれくらいツイートしたのかすらよくわからないという。一応、通知のあったものはツイートしたということが後からでもわかりますが、反応がないと、どれくらいツイートしたかも、誤字があったかすら把握できないですから、これは意外なメリットとも言えるのかも。もっとも、数字マニア、データマニアの身としては、数字に接する機会も減ってしまうので、そこは楽しみ半減かもしれませんが・・・。
・好きなイラストが見れない
全員が全員Pixivとかにアップしてるわけではないので、大半のイラストを目にすることができないのは、結構痛手ですね。もっとも、ここ3年くらい、アイマス中心に自分から探す習慣になっていたから違和感があるだけで、その習慣から完全に解放されるくらい非表示を続けたら、心境が変わる可能性もありそうです。
・話題に乗っかることができない
この非表示実験中でも「あ、自分の好きなSSRが来た!みんなどんな反応してるんだろ!?」という瞬間があって、そこで一緒に盛り上がったり、楽しんだりすることができない、という側面はありましたね。正直、そういう瞬間だけ表示ありにしてもいいのかなぁと思うくらいには、今更後悔してたり。そういうのは情報とか誰か特定の発言とかではなく、その瞬間の空気感を楽しみたいわけで、後からでは楽しめないものですし、共通の趣味で繋がってる人が多いSNSだからこそできる遊び方でもありますからね。
ツイート内容が人に左右されない
ツイートだけはしてたんですけど、自分も含めて誰のツイートも表示されないから、当たり前ですが、自分がツイートしたいと思った時にしかツイートしないですね。それこそ、普段だと「みんなが無料10連ガシャ結果投稿してるから、自分もするか」みたいなのがあったり、逆に「有名人の不幸とか訃報のニュースが飛び交ってるから、あんまゲームのスクショとかは控えるか・・・」みたいなことも無い。実質ただのミニブログみたいな状態になってます。
パッと思いついた変化としては、この辺でしょうか。大きな変化としては、承認欲求が薄れるのと、本当にチェックしたい人が見えてくる、の2つでしょうか。我慢してる部分もあるので、遠からずTL表示しますが、今回に限らず「当たり前を見直す」っていうのは、大事だなぁと実感できる、良い実験だったように思います。